創業百余年の和菓子処が見せた執念——原材料高騰の2026年、なぜあの小さな暖簾に列が途切れないのか
萬 榮 堂の引き戸を少しだけ押し開けると、夜明け前の冷たい空気とせめぎ合うようにして、小豆を炊き上げる濃密な蒸気が鼻腔を突いた。午前5時過ぎ。東の空はまだ深い群青に沈んでいる。静まり返った街並みの中で、この作業場だけはまるで別世界だ。銅鍋の底をさらう大振りの木べらの乾いた擦過音、湯気で白く霞む裸電球、そして年季の入った板場に漂う仄かな渋の匂い。2026年、記録的な原材料高と深刻な後継者難によって、全国各地の老舗和菓子店が次々と静かに暖簾を降ろしている。しかし、この場所には感傷に浸る隙など微塵もなかった。
街並みが少しずつ朝の輪郭を取り戻し始める頃、路地の角に立つ萬 榮 堂の控えめな木製看板の前には、すでに開店を待ちきれない常連客の姿がぽつりぽつりと現れ始める。買い出し用のエコバッグを手にした近隣の女性は、「ここの餡を朝一番に口に運ばないと、一日がシャキッと始まらないのよ」と、白い息を吐きながら小さく笑った。派手な宣伝など一度も打ったことがない。それでも、世代を超えて人々の舌を捉えて離さない秘密が、職人の頑なな掌の中に潜んでいる。
小豆高騰の嵐が直撃した2026年、老舗の板場に漂う緊張感
いま、日本の和菓子界は過去数十年間で最も過酷な試練に晒されている。北海道産小豆の収穫量不安定化と歴史的な円安、さらに砂糖や包装資材の輸送コスト増が重なり、2026年の仕入れ値は数年前の倍近くまで跳ね上がった。大手メーカーが相次いで価格改定や内容量の縮小に踏み切るなか、個人経営の老舗が被る打撃は計り知れない。
妥協の誘惑は常に付きまとう。安価な外国産豆へ切り替えるか。豆の量を減らし、水飴の比率を増やしてかさ増しするか。だが、その選択肢を職人たちは一瞥もしなかった。「粉や砂糖の質を落とした瞬間、客の舌はすべて見抜く」。三代目店主は、赤く火照った顔を拭いもせず言い切る。利益率を削り、己の睡眠時間を削ってでも、納得のいく豆の選別だけは絶対に譲らない。その頑固さが、破滅と紙一重の緊張感を現場にもたらしている。
「機械には任せられない」職人の指先が覚えている火加減と練りの秘密
作業場の中心に据えられた特注の大型銅釜では、職人が片時も離れずに餡の様子を見守り続けている。タイマーはない。温度計も差し込まない。頼りになるのは、吹き上がる気泡の弾け方、立ち上る湯気の湿り気、そして木べら越しに伝わってくる手応えだけだ。
「豆は生き物だ。その日の気温が1度違えば、吸水時間も火を入れるタイミングもすべて狂う」。ヘラを握る指先には、幾重にも重なった火傷の痕と分厚いタコが刻まれている。機械化すれば、作業効率は劇的に上がるだろう。だが、餡の表面に現れるあの独特の艶、舌の上ですっと粒子がほどけていく軽やかな余韻は、人間の手練れによる微細な感覚調整でしか生み出せない。彼らにとって、効率化とは味を殺す行為に他ならないのだ。
インバウンドの熱狂と地元客の日常、暖簾(のれん)を挟んだせめぎ合い
午前10時の開店と同時に、ガラスの引き戸がガラガラと音を立てて開いた。先頭に並んでいた地元のお年寄りに続いて入ってきたのは、スマートフォンを片手に持ち、英語でメニューを指さす若い外国人観光客のカップルだった。近年、SNSを通じて「本物の手仕事が残る隠れ家」として海外メディアに紹介されたことで、来店客の風景は劇的な変貌を遂げた。
見慣れぬ旅行者たちに、店先のおばあちゃんが身振り手振りを交えながら商品の保存期限を伝える。観光地化に飲まれて地元客が離れてしまう店が多い中、ここでは不思議な調和が保たれていた。流行りの映えスイーツには目もくれず、素朴な茶色い包み紙に包まれた菓子を、海を越えてきた旅人がいとおしそうに抱えていく。伝統が持つ本来の引力は、言葉の壁をいとも簡単に飛び越えてしまうようだ。
廃業ドミノが続く和菓子界で、なぜ暖簾を下ろさずに済んだのか
帝国データバンクの最新推計によれば、伝統食品関連の廃業件数はここ数年高止まりを続けている。特に地方都市では、事業承継の失敗による看板の消失が日常茶飯事となった。その波に呑まれる店と、生き残る店を分ける決定的な違いはどこにあるのか。
答えは、徹底した「無理の排除」にある。バブル期にも身の丈に合わない多店舗展開を拒み、デパートの催事出店にも深入りせず、ただこの一店舗で売り切る分だけを作り続けてきた。身軽さゆえに、過剰な負債も抱えずに済んだ。拡大を美徳とする経済合理性の外側に身を置き続けたことこそが、皮肉にも最大の防御壁となって店を守り抜いたのだ。
三代目が遺した帳簿と、四代目が仕掛ける「引き算の美学」
現在、厨房では次代を担う30代の四代目が板場に立っている。大手商社での勤務を経て家業に戻った彼は、古い帳簿をデジタルで分析しながらも、商品のラインナップを増やすのではなく、むしろ絞り込む改革を断行した。
季節ごとに作っていた細かな創作生菓子の一部をあえて整理し、看板商品である定番の焼き菓子と生餡の精度を極限まで引き上げる道を選んだのだ。「新しいことをやるのが進化だと思われがちですが、いま僕たちに求められているのは、当たり前の味を崩さずに磨き抜くこと」。古びた木型の手入れをしながら語るその横顔には、伝統を単なる遺産ではなく、戦うための武器として捉える覚悟が滲んでいた。
百年先も同じ味を届けるために、いま捨て去るべきもの
正午を過ぎる頃には、店内のショーケースに並んでいた折詰はほとんど空になっていた。西日が作業場に差し込み、静かに道具の片付けが始まる。洗われた銅鍋が、鈍い光を返している。
何を守り、何を捨てるのか。時代の奔流に翻弄される現代において、その問いに対する答えを見つけるのは容易ではない。しかし、湯気立つ作業場で黙々と木べらを握る職人の背中は、饒舌に物語っている。守るべきはブランドという看板ではなく、その奥にある誠実な手作業そのものだ。明日もまた、陽が昇る前から小豆は煮られ、あの香ばしい湯気が街へ流れ出す。その当たり前の一日を積み重ねることだけが、未来への唯一の架け橋となる。 (出典: 萬 榮 堂(Yahoo!ニュース))