国道246号の真下に息づく「もうひとつの日本」——2026年、なぜ人々は古道『矢倉沢往還』へ歩き出すのか

目次
国道246号の真下に息づく「もうひとつの日本」——2026年、なぜ人々は古道『矢倉沢往還』へ歩き出すのか
国道246号の真下に息づく「もうひとつの日本」——2026年、なぜ人々は古道『矢倉沢往還』へ歩き出すのか
@ creator • Click to Play Video Inline
🎵 国道246号の真下に息づく「もうひとつの日本」——2026年、なぜ人々は古道『矢倉沢往還』へ歩き出すのか

矢 倉沢 往還の起点である赤坂見附の交差点に立つと、高層ビル群の谷間から吹き抜ける冷たいビル風とともに、重低音のロードノイズが耳を打つ。2026年の東京。自動運転の実証実験車が滑らかにアスファルトを滑り、行き交う人々はスマートグラス越しに流れる情報を追って視線を宙に彷徨わせている。だが、その足元数十センチ、あるいはわずか一本裏手の路地に、かつて江戸の庶民たちが熱狂とともに踏み固めた道が眠っていることを、気にかける者はほとんどいない。

ひたすら西へ。排気ガスが漂う幹線道路の喧騒から逃れるように路地へ折れ曲がると、かつて東海道のバイパスとして、そして庶民の祈りと遊びの動線として機能した矢 倉沢 往還の断片が、住宅街の生垣の陰から突如として姿を現す。そこには、効率とスピードに憑りつかれた現代都市が置き去りにしてきた、まったく別の時間が流れていた。

アスファルトの裂け目から立ち上がる、熱狂の「大山詣り」

江戸の町民にとって、この道は単なる移動ルートではなかった。熱病のような解放の装置だったのだ。

江戸中期、梅雨明けの赤坂から群れをなして旅立ったのは「大山講」に名を連ねる男たち。相模の大山阿夫利神社を目指すその旅路こそが矢倉沢往還のハイライトであり、表向きは雨乞いと五穀豊穣の祈願でありながら、その実態は現世からの合法的な脱走劇だった。巨大な木太刀を背中に括り付け、そろいの半纏を羽織り、「六根清浄」を唱えながら江戸の木戸を出る。その道中には酒があり、賭場があり、普段の身分制度から解き放たれる祝祭の空気が充満していた。

当時、往還沿いに立ち並んでいた茶屋や旅籠は、今のコンビニやファストフードとは比べものにならないほど濃密な情報交換の場だった。江戸の流行歌が西へと運ばれ、相模の山海の幸が江戸の町へと流れ込む。この街道は、経済の動脈であると同時に、強烈なカルチャーの導火線だった。

赤坂から足柄へ——時速4キロで解体される東京のメガロポリス

現在の青山通りから玉川通り、そして国道246号線。東京から神奈川を貫くこの大動脈の線形は、ほぼ矢倉沢往還を踏襲している。車で走ればわずか数時間。だが、時速4キロの歩行速度にギアを落とした瞬間、見慣れたメガロポリスの解像度は一変する。

三軒茶屋のビル風を背に受け、多摩川を渡って二子玉川へ。溝口、荏田、長津田と宿場町の跡を辿るごとに、道の起伏が身体に直接語りかけてくる。尾根を縫い、谷を避け、湧水のある低地へと滑り込む。土木技術が自然を力づくでねじ伏せる前の時代、街道は地形の微細な呼吸に寄り添うように引かれていた。

「坂を上りきったところに、必ず古い石碑があるでしょう。あれは昔の人が『ここでお茶を一杯飲んで息を整えろ』と教えてくれているんです」。長津田宿の旧家で生まれ育ったという70代の郷土史家は、道端の風化した庚申塔を指差しながら笑った。現代の都市計画が削り落としてしまった土地の記憶が、歩く者の足裏を通じて微かに蘇ってくる。

スマホの画面を伏せ、風化した文字をなぞる若者たちの心理

いま、この古道に見せられているのは歴史ファンやリタイア世代だけではない。週末になると、軽量なトレイルランニング用バックパックを背負った20代から30代の姿を往還沿いで頻繁に見かけるようになった。

「右 大山道」「左 富士山道」と刻まれた道標の前で、足を止める。AIが提案する最短ルートをスマートフォンの地図アプリで確認するのではなく、路傍の石に刻まれた文字に指を触れ、次の分岐点を目視で探す。そこにあるのは、アルゴリズムに最適化されすぎた生活に対する、小さな、しかし明確な違和感の表明だ。

あるIT企業勤務の男性(28歳)は、数ヶ月前から区間を区切って往還を歩いているという。「仕事中は数秒の返信遅れすら許されない。でも、この道を歩いていると、江戸時代の人たちと同じペースでしか景色が変わらない。その圧倒的な遅さが、頭のノイズを完全に消してくれるんです」。彼らにとって古道歩きは、懐古趣味ではなく、過剰に加速した精神をリセットするための実践的なメンタルハックなのだ。

宿場町の古民家とクラフトビール:2026年に起きている奇妙な文化混淆

歩行者の増加に伴い、街道沿いの風景にも新たな変化が起きている。かつての宿場町、例えば伊勢原や厚木の旧道沿いでは、放置されていた築100年を超える古民家や蔵をリノベーションした拠点が次々と立ち上がっている。

地元産のホップを使ったマイクロブルワリー、自家焙煎のスペシャルティコーヒーを出すスタンド、古材を再利用したコワーキングスペース。そうした空間に、街道を歩いてきたハイカーと、昔からその土地に暮らす農家や商店主が自然に相席する。江戸時代、見知らぬ旅人と土地の人間が茶屋で言葉を交わした光景が、現代の意匠をまとって再生産されているかのようだ。

均質なチェーン店が並ぶ国道沿いのロードサイド店舗とは対照的に、旧道沿いには土地固有の匂いと手触りが残る。画一化された郊外の風景に退屈していた地域住民にとっても、古道の再発見は自らのルーツを誇らしく捉え直すきっかけになっている。

過剰な効率化への無言の抵抗、足柄の峠道が教える「遠回り」の価値

伊勢原を過ぎ、秦野の盆地を抜けると、道はいよいよ険しさを増していく。松田から酒匂川を渡り、南足柄の矢倉沢関所跡へ。ここから先は、かつて箱根の関所を避けた旅人や密貿易商人たちも利用した、険峻な矢倉沢峠(足柄峠)越えが待っている。

木漏れ日が落ちる山道に入ると、車の音は完全に途絶え、耳に届くのは枯れ葉を踏む自分の靴音と、梢を揺らす風の音だけになる。かつて東名高速や新東名が山肌を穿つ前、東西の物流と人の往来を一手に引き受けていた峠道。重い荷物を背負い、草鞋履きでこの急坂を越えていった先人たちの筋肉の軋みが、坂を登る自分自身の息づかいと重なり合う。

最短距離で目的地へ滑り込む新幹線や高速道路では決して味わえない感覚。自分の身体をエンジンにして距離を稼ぐという行為は、私たちが本来持っていたはずの「距離の感覚」と「土地の実存感」を力強く呼び覚ます。遠回りの中にこそ、世界とのリアルな摩擦が存在している。

次の100年へ——道標(みちしるべ)が問いかける都市の未来

矢倉沢峠の頂に立ち、振り返ると、遠く相模湾の青い水平線と、その向こうに広がる関東平野の巨大な輪郭が霞んで見えた。あの平野の端に東京があり、そこからこの峠まで、一本の細い糸のような道が確かに繋がっている。

私たちはどこへ向かおうとしているのか。テクノロジーがどれほど進化し、都市の風景がどれほどサイバーパンク的な変貌を遂げようとも、人間の足が地面を踏みしめる構造そのものは変わらない。矢倉沢往還が今なお放つ静かな磁場は、都市計画家やテクノロジー信奉者たちが見落としがちな、人間の根源的なスケールを私たちに突きつけている。

道端に佇む苔むした不動明王は、何百年もの間、行き交う人々の喜怒哀楽を見守り続けてきた。その視線の先で、今日も誰かが立ち止まり、靴紐を結び直し、再び西へと歩き出す。失われた過去を惜しむためではない。この混沌とした現代を、自分の足で確かに生きていくための力を得るために。 (出典: 矢 倉沢 往還(Yahoo!ニュース)

矢 倉沢 往還
矢 倉沢 往還
矢 倉沢 往還