創業142年の熱気と赤身の美学――再開発進む町田の片隅で、なぜ「柿島屋」の暖簾には今も人が吸い寄せられるのか

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創業142年の熱気と赤身の美学――再開発進む町田の片隅で、なぜ「柿島屋」の暖簾には今も人が吸い寄せられるのか
創業142年の熱気と赤身の美学――再開発進む町田の片隅で、なぜ「柿島屋」の暖簾には今も人が吸い寄せられるのか
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🎵 創業142年の熱気と赤身の美学――再開発進む町田の片隅で、なぜ「柿島屋」の暖簾には今も人が吸い寄せられるのか

柿島 屋 町田の引き戸をがらりと開けると、濃厚な味噌の煮える香気と、心地よい喧騒が波のように押し寄せてくる。まだ陽の高い午後4時、小田急線とJRが交差する町田駅周辺は足早に行き交う通勤客でごった返しているが、この大広間だけはすでに宵の口のような熱気に満ちている。使い込まれた木の床、天井へと立ち上る白い湯気、そして皿に盛られた艶やかな深紅の馬肉。2026年の今も、ここには140年以上の歳月を重ねた酒場だけが放つ、抗いがたい引力が宿っている。

街の輪郭がどれほど均質化し、機能的なビルへと建て替えられようとも、週末になれば暖簾の前に自然と長い列ができる柿島 屋 町田は、単なる飲食店というカテゴリーを軽々と超えた存在だ。手頃な価格で鮮度抜群の馬肉を突き、ガラスコップの酒を傾ける客の顔ぶれを見渡せば、競馬新聞を広げる年季の入った常連から、赤身肉の魅力に惹かれて遠方から訪れた20代のグループまで実に幅広い。かつて八王子から横浜へと生糸を運んだ「絹の道」の中継地であった町田の歴史が、そのまま一枚の皿の上に凝縮されている。

明治17年、絹の道が生んだ馬肉食の系譜

柿島屋の歩みは、日本の近代化と切り離して語ることはできない。創業は1884年(明治17年)。当時の町田は、信州や甲州で生産された生糸を横浜港へと急送する動脈「絹の道」の要衝であり、多くの馬と馬喰(ばくろう)たちが行き交う活況の只中にあった。

荷を運ぶ役目を終えた馬、あるいは取引の過程で扱われた馬の肉を無駄なく活かす知恵から生まれたのが、この地に根付いた馬肉文化だ。初代が馬肉専門店として看板を掲げて以来、関東大震災や戦後の混乱、そして急速なベッドタウン化の波をくぐり抜けながら、柿島屋はその屋号と味を守り続けてきた。

今でこそ馬肉といえば熊本や長野の名物という印象が強いかもしれない。だが、首都圏の南西部に位置する町田の真ん中に、これほど純度の高い馬肉文化が明治初期から連綿と息づいている事実は、東京近郊の知られざる食の地政学を雄弁に物語っている。

ヘルシー志向と高タンパク需要が後押しする2026年の「馬肉回帰」

2026年の現在、外食シーンではかつてないほど「健康と本物感」のバランスが問われている。脂肪分が極めて少なく、高タンパクかつ鉄分やグリコーゲンが豊富な馬肉は、ウェルネスを重視する現代人のライフスタイルと驚くほど相性が良い。

柿島屋を訪れる客層の変化にも、その風潮ははっきりと表れている。かつては「酒呑みの聖地」としての色合いが強かった店内だが、近年は筋力トレーニングに励む若者や、健康的な外食を求める女性客の姿が目に見えて増えた。脂っこさに頼らず、噛み締めるほどに溢れ出す赤身特有の清らかな旨味が、過剰な味付けに飽きた現代の舌に心地よく響くのだ。

冷凍技術や流通網が高度化した2020年代半ばにあっても、柿島屋が扱う馬肉の鮮度管理は徹底している。長年の信頼関係で結ばれた契約牧場から届く肉は、臭みなど微塵もなく、澄んだ赤色を誇る。健康ブームという一過性の流行を超えて、身体が本能的に求める「良質な肉」がここにある。

鉄鍋に躍る深紅の肉筋――看板「肉なべ」に宿る職人の矜持

席に着いたら、まずは名物の「肉なべ」を頼まない手はない。浅い鉄鍋に張られた甘辛い自家製味噌だれ、たっぷりの白ネギ、そして薄切りにされた鮮烈な赤身の馬肉が美しく並べられて運ばれてくる。

火にかけ、タレがふつふつと煮立ち始めたら、肉の火入れには細心の注意を払いたい。馬肉は火を通しすぎると締まりすぎてしまうため、表面の色が変わり、中心にほんのり赤みが残る程度で引き上げるのが鉄則だ。溶き卵にくぐらせて口へ運べば、味噌のコクと馬肉の繊維がほどけ、野趣あふれる滋味が口腔を満たす。

さらに見逃せないのが、刺身類の存在感だ。「上肉刺し」のきめ細やかな舌触りや、コリコリとした食感が癖になる「たてがみ(こうね)」、そして入荷次第で姿を現す希少部位。生姜醤油やニンニクを少し添えて噛み締めれば、雑味のない肉汁が静かに広がり、辛口の日本酒を呼んでやまない。

相席の長机が紡ぐ、失われゆく「街の社交場」のリアル

柿島屋の店内には、整然と区切られた個室やタブレット端末による無機質な注文画面は存在しない。中央に鎮座する長いテーブルでは、見知らぬ客同士が肩を寄せ合って座る相席が日常の風景だ。

右隣のベテラン客が鍋をつつく手元の見事さに目を奪われ、左隣の若者が注文に迷っていれば店員が気さくに声をかける。デジタル空間で個人の領域が過剰に守られる時代だからこそ、こうした「適度な距離感の雑多さ」に救われる人は少なくないはずだ。

グラスがぶつかる音、店員が厨房へ通す威勢のいい声、鉄鍋から立ち上る蒸気。それらすべてが混ざり合い、店全体がひとつの生き物のように呼吸している。誰かと空間の熱量を共有しながら酒を呑むという、外食が本来持っていた原初的な喜びが、このフロアには手つかずのまま残されている。

駅前再開発の波と140年の老舗が下した「変わらぬ決断」

町田駅周辺はここ数年、交通結節点としての利便性をさらに高めるべく、商業施設の刷新や都市基盤の再整備が急ピッチで進んできた。ガラス張りの複合ビルが立ち並び、街並みがスマートに洗練されていく一方で、どこへ行っても同じようなテナントが並ぶ風景に一抹の寂しさを覚える声も少なくない。

そうした近代化の波のすぐそばにありながら、柿島屋は頑なに自らの立ち位置を変えようとしない。もちろん店舗自体は時代に合わせて建て替えや改装を経ているが、提供する料理の芯、価格設定の庶民性、そして暖簾をくぐった瞬間に感じる大衆酒場としての温度感は、何ひとつブレていないのだ。

「街がどう変わろうと、うちはうちの肉を出し、お客さんに喜んでもらうだけ」。厨房から伝わってくる無言の気骨は、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返す東京近郊の都市部において、街のアイデンティティそのものを繋ぎ止めるアンカー(錨)の役割を果たしている。

昼下がりの一杯から夜の喧騒まで――この店を味わい尽くす流儀

柿島屋の魅力を骨の髄まで味わうなら、平日の午後、まだ外が明るい時間帯に訪れるのが通の選択だ。開店直後の穏やかな空気の中、名物の「肉皿」や「馬肉のメンチカツ」をつまみに、冷たいビールや銘柄酒をゆっくりと喉に流し込む時間は至福というほかない。

時間が経つにつれ、店内には仕事終わりの会社員や、近隣の常連客が次々と吸い込まれ、場のボルテージは一段ずつ上がっていく。鍋の締めにうどんを投入し、馬肉とネギの出汁を吸い尽くしたスープを一滴残らず平らげる頃には、心も身体も芯から満たされていることに気づくはずだ。

小ぎれいなレストランでは決して味わえない、歴史の重みと人情のぬくもり。町田の雑踏を抜け、柿島屋の暖簾をくぐる行為は、140年以上の時間を旅する小さな冒険にほかならない。今宵もあの赤提灯の下で、無数のグラスが乾杯の音を響かせている。 (出典: 柿島 屋 町田(Yahoo!ニュース)

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